体験談
C型肝炎
肝炎治療8年の軌跡と出会いの奇跡(太田 昌子)
平成20年、55歳の私はC型肝炎の治療について時間は掛かるけど、治せると高をくくっていました。
初めての治療はインターフェロンとリバビリン併用療法でしたが、なんと1回目の注射の後、白血球数が基準を下まわり、あえなく治療中断。もう治らないのだと落ち込む日々でした。
平成22年、病院を変え、どうしても治療を続けたい気持ちを聞いていただき再度挑戦しましたが、今度は副作用が酷く、ほぼ寝たきり状態で、5ヶ月目でやむなく治療中断。この時期が体力も気力も落ち、一番辛い時期でした。それでも心を支えて下さった肝炎コーディネーターや家族や友人の存在はとてもありがたくて、只々感謝の思いで一杯でした。
その頃、インターフェロンを使わない画期的な新薬が認可待ちという情報に触れ、一筋の光のように希望を持つことが出来ました。
そしてついに、平成28年、何の副作用もなく、たった84日間毎日一錠の薬を飲むことで、C型肝炎ウィルスを排除出来ました。
感染時期は不明ですが、40歳の時ウィルス検査でキャリアと分かり、23年経った時でした。今はウィルスを排除して2年余りです。ウィルスのいない身体になってみると、なんだか軽く感じられます。半年毎の定期検査はもちろん、他のがん検診も受けています。
辛いインターフェロンの治療中聴くだけだったオカリナをそのCDの演奏家から不思議なご縁で習えるようになったのです。六十の手習いですが、今では生きがいとなりました。もし苦しい治療の日々がなければ、毎晩のようにオカリナを聴くこともなかっただろうし、ましてオカリナの仲間とオカリナコンサートしているなんて、自分でもビックリしています。
この肝炎治療の8年間は私に出会いの奇跡をもたらしてくれました。本当に心からありがとうと何度重ねても足りないくらいです。
乳がん
私が病気になった意味(進藤 和美)
私は47歳の時、初めて受けたがん検診で乳がんが見つかりました。結果が戻るまでに約1カ月、実はその間に左胸にしこりのようなものを見つけたのです。検診の結果は要検査の文字。私の中で何となく確信を持ちました。
病院で検査を受け「乳がんです。」と告知を受けました。割と冷静に受け止めることができていました。父をがんで亡くしていたので病気のことは少し解っているつもりでしたが、いざ自身の身に起きると病気の知識などは何も入っていないことに気づき、それから色々な本を読み私なりに病気のことを理解したのです。手術、治療へと進み私は放射線治療、ホルモン治療と説明を受け、これから10年間の経過観察といわれた時、本当にがんは手術をして終わりではなく、始まりなのだと思いました。10年後?正直私には全く見えていないし、想像することさえできませんでした。治療に入っても今までと同じ日常が戻ってきます。日常生活や治療生活を過ごしていくのです。
初めの頃はあまり深く考えることなく、薬の副作用の症状かなくらいでした。でも、段々と症状は酷くなっていき、副作用が引き金となったのか他の病気を発症して入院、手術を3回。あれ?私は何の病気の治療をしているのだろう?と…。いつの間にか心と身体が悲鳴を上げていたのです。過呼吸、パニック発作を起こし、段々とうつ状態になりました。外に出られるようになるまで3年半の時間が過ぎていました。
でも私には色々なことを考えるために必要な時間だったのだと思っています。今、私はピアサポーターとして仕事をしています。10年前の私からは想像もできないことですが、がんという病気を経験したからだと思います。がんを経験したからこそ、体験を共有し、ともに考えることができる。私と同じようにつらい思いや苦しい思いをしている方に少しでも前を向いてもらえるようなサポートができたら私ががんという病気になった意味があるのではないかなと思っています。